• HOME
  • blog
  • 映画「えんとつ町のプペル 約束の時計台」に思うこと

映画「えんとつ町のプペル 約束の時計台」に思うこと

映画「えんとつ町のプペル 約束の時計台」ポスター
映画「えんとつ町のプペル 約束の時計台」ポスター

映画「えんとつ町のプペル 約束の時計台」が公開されて1週間が経ちました。

製作総指輝・原作・脚本は、お笑いタレント&絵本作家の西野亮廣さん。西野さんが絵本「えんとつ町のプペル」を発行したのは9年前のことで、当時は「チームで絵本をつくる」とか「Webで無料公開する」などの奇抜な手法に賛否両論が噴出し、いろんな意味で大きな話題になりました。

その後、絵本は映画となり、ハロウィンの代名詞となり、ミュージカルとなり、このたび公開された映画の続編につながります。この9年間で一つの作品をここまで育て、周囲との関係性や自らの知見を広げ続けたその手腕は、やはり素晴らしいと思います。

実は、「えんとつ町のプペル」が出版されたちょうど9年前に、全国誌「イラストノート」が絵本特集を組んだのですが、その際、西野さんの取材・ディレクションを担当させていただいたのが、この私、今倉なのです、イエイ。その時の特集タイトルは「革命の正体」。絵本業界に新たな風を吹かせ、その後、クラウドファンディングやオンラインサロンの分野で日本を席巻することになる西野さんが巻き起こした「革命的な手法」を掘り下げた内容は、ご本人からもブログを通してお褒めの言葉をいただきました。

さて、前置きが長くなったのですが、今回このブログで取り上げたいのは、映画の続編「えんとつ町のプペル 約束の時計台」に対する世間の評価についてです。第1週を終えた時点での興行成績は伸び悩み、西野さん自身も巻き返しを図るために東奔西走しています。

僕が注目するのは、西野さんが何らかのアクションを起こすと、必ずと言って良いほど「絶賛」する派と、「酷評」する派に大きく二分される現象です。絶賛派の中には映画を30回以上見たという猛者が現れる一方、その行為を酷評派は「カルト宗教のようだ」とこき下ろす。いま、巷のSNSで起こっている現象を雑にまとめると、こんな感じになるでしょうか。

僕から見ても、絶賛派はファンという枠を超えて狂信的なものを感じるし、酷評派は単なる映画批評に留まらない怨念のこもった呪詛の言葉を吐き続ける。こんな現象、他ではそんなに見たことがありません。なぜなら、通常、つまらない映画は話題にも上らないし、1時間近くかけて自身のSNS動画で酷評動画をつくるエネルギーなど沸いてこないはずだからです。

さっきも酷評派のyoutube動画をラジオ代わりに夜の散歩をしていたのですが「なぜこの映画はつまらないか」を、その人は永遠と語り続けていました。映画の設定、整合性、キャラの性格、脚本など、その矛先は無限にあり、論文にでもなりそうなほど一定の理論を持って酷評していました。

なぜ、これほどまで両極端な反応が生まれるのか。

まず考えられるのが「内集団/外集団バイアス」です。自分が所属するグループを優遇・高く評価し、それ以外のグループを過小評価したり差別したりする心理傾向のことで、これらの心理が戦っているように思います。これは西野亮廣という強いブランドが存在するがゆえに、作品を中立に見て貰えなくなるというジレンマをはらんでいます。

また、「熱狂する集団への嫌悪」や「自分は騙されない側にいる」というバイアスがかかり、映画評というよりも自身の立場表明をしてしまうという心理もあります。中には成功者や注目される人を引きずり下ろしたくなる心理も生まれ、SNSが増幅器となってその感情を増幅させてしまう。結果として、両極端な評価がネット上にまき散らされているのではないでしょうか。

そもそも、これまでの西野さんの取り組みを見ていると、たぶん彼は「映画の質を極限にまで高めよう!」とは思っていなくて、「SNSを駆使した方法論や仕組みによって、再現性のあるヒット作を生み出す」という実験をしているように見えます。その実験に乗っかっている人は映画を楽しく見られるし、反発する人は嫌悪感を増幅させるようになる。

誤解を招く言い方かもしれませんが、西野さんのエンタメは「自分の子どもの発表会」を見に行く親の心理をビジネスに落とし込もうとしているようにも見えます。たとえば休日に、他人の子どもの発表会を見に行く大人は、ほとんどいません。でも、自分の子どもの発表会であれば、成功や失敗を超えて、その一挙手一投足に感動してしまう。それは、子どもと過ごした年月の中に、言葉を超えた愛や絆が生まれているからです。

このことを理解した上でオンラインサロンに入会し、まるで自分が子育てをするように作品の未来を一緒につくりあげ、喜びや苦しみを共有していく。この体験こそが西野さんのビジネスモデルであり、既存の絵本や映画の枠を超えた新たなチャレンジであると僕は思うのです。

だから、絶賛派も酷評派も、それぞれの気持ちが分かります。「お前はどっち派だ!」とツバを飛ばされながら聞かれても、「どっち派でもないんだよなあ」というのが本音です。

ただ、僕は西野さんのこの壮大な実験を応援しています。理由は、誰かのチャレンジを否定すると、いつか自分や自分の家族に返ってくると思うから。西野さんが命がけで仕掛ける革命の続きを、これからもしっかり見守りたいと思います。